(※インタビューは2009/11/11日のものです。)
●本日は、常見さんの誕生日ですね。
そうですね。私(常見)は昭和5年、1930年に生まれました。
開高さんもわたしも、丁度同じ年に生まれたので開高さんは12月30日生まれです。
20年間、開高さんとお付き合いさせていただきましたけれども、強く印象に残る事が沢山ありましたね。
開高さんと私も、ルアーフィッシングという擬餌針で魚を釣り始めた時期は丁度同じ頃だったんですね。
開高さんがアウシュビッツ裁判の取材で西ドイツを訪れた1966年頃、西ドイツの釣具屋でルアーを見つけたのです。
擬餌針には、金属やプラスチックなど、色々なものがありますが端的に言えば
『人工誘惑物』で、英語でルアーと言います。
開高さんはアルプス山脈近くの湖で70センチもあるパイクという魚を釣って、日本に帰ってきた。大威張りで帰ってきた。
ルアーを知っているのは俺くらいだろうと。
たまたま私は開高さんより1年か2年ルアーを知るのが早かったのでしょう。
私は、ルアーを日本橋の三越の釣具コーナーにあるのを見つけ、店員に説明を受け、自己流でルアーを覚えました。
それが1966年1月です。
開高さんもそのころドイツで覚えた。金属で出来たスプーンに針をつけて、水中にいる魚をおびき寄せる。水の中で、きらきら輝くルアーがゆらゆら動く。
その動きに誘われて、魚がルアーに食いつく。(ルアーには音を出すものもありますが)水の中では多少の音も出るのでしょう。
ルアーで釣られる魚は肉食性で小魚やエビなど、小動物を水中で捕食します。
ルアーは小魚に似ている動きをするので、食いつくわけです。
私は、ある釣り雑誌に頼まれて、奥只見湖(銀山湖)で大きく育った岩魚を釣った記事を書きました。それが開高さんの目にとまったのが永年の友人となるきっかけです。
つづく・・・