助成金採択通知
2022年11月に応募していた河川財団「河川助成基金助成事業」の採択発表があり
今回の事業が採択となり、助成いただけることとなった。
そしてバーブ工の新図面も岩瀬さんから届いた。
最終設計は木材で四角枠を組み、これを河床に設置し枠内に石を詰めてバーブ工とする方法となった。
ZOOMミーティングで多少の寸法の変更(予算と材の規格の都合)が出たが概ね、この図面で最終決定となった。
つづく・・・・
2022年11月に応募していた河川財団「河川助成基金助成事業」の採択発表があり
今回の事業が採択となり、助成いただけることとなった。
そしてバーブ工の新図面も岩瀬さんから届いた。
最終設計は木材で四角枠を組み、これを河床に設置し枠内に石を詰めてバーブ工とする方法となった。
ZOOMミーティングで多少の寸法の変更(予算と材の規格の都合)が出たが概ね、この図面で最終決定となった。
つづく・・・・
前年秋に応募していた助成申請の結果が届いた。
下準備から書類作りまで多くの方にご尽力いただき、気持ち的には万全を期しての応募だったので
不採択通知は痛恨の極みだった。
今回の事業は会の財源だけでは不可能に近いので助成をいただくことは必須条件。
新たな助成先をさがしながら、事業計画と方法を引き続き練る事に・・・
2022年3月5日 ダムサイト
2022年3月5日 本流出合
2022年前年(2021年11月)に試し打ちした木杭を確認に行くと
積んだ石、打ちこんだ木杭は跡形もなく流されていた。
北ノ又の水の力が予想以上に大きく、バーブの設計も変更する事となった。
続く・・・
計画書のバーブ工は河床に木杭を幾つか打ち込み、枠としてその木杭枠の中に現場にある程度の大きさの石を入れ、ネットで包み強い流れにも流されないバーブを作るというものだった。
ネットで包む為、バーブ完成当初は河川内で人工物のネット(黒)が目につくが時間の経過とともに砂や石が堆積し植物が発生しネットも馴染み目立たなくなるというイメージでした。
出来るだけ景観も損なわないようにと岩瀬さんから新案が届いた。
新案ではネットの代わりに石にアンカーを打ち込みチェーンで各アンカーを繋ぎ一つの塊とする方法で
ネットと比べると外観はより自然になった。
材料費もネットと比べると削減できる。
図面の中でどうしても気になることがあった。
それは木杭を人力で河床に打ち込むのだが大き目の石で河床が形成されている北ノ又川に木杭が入って行くのだろうか?という事だ。
2021年11月15日
北ノ又にて実際に木杭の試し打ちをすることとなった。
魚沼地域整備部治水課にも現地の状況と、課題、問題点を共有し協力頂けるととなった。
北ノ又の流れのパワーにどれほど耐えられるかの耐久テストも兼ね小さいバーブ工も設置する事とした。
岩瀬さん、河口さんが再び駆けつけてくれ、設置個所や角度など現場で指示を出す。
木杭は僕等素人では思うように入って行かないが土木のプロたちがやると人力でも打ち込めることが分かった。
木杭を打設後現場の石を入れバーブとした。今回はチェーンでの固定は無しで様子を見る事に。
今回の事業の具体的な予算も見えてきたので予算確保も進める・・・
アドバイスの元、幾つかの助成事業の中から「新潟県建設技術センター」が地域の発展、課題解決の為の調査研究、活動に助成する助成事業に応募する事とした。
現地調査を終えると岩瀬さんが早速、修復計画案を作ってくれた。
(バーブの構造はこの計画書から変更になっています。)
過去の時間当たりの最大雨量が45年の歴史の中で、近年に集中している事はやはり地球規模の気候変動の影響でしょうか・・・・
まずは岩瀬氏、河口氏より現地確認をしてもらう事となった。
2020年11月14日、北海道から岩瀬氏、徳島から河口氏が手弁当で駆けつけてくれた。
左:岩瀬氏 中央:河口氏 右:池田副代表
河川工学のスペシャリスト岩瀬氏よりどうして宮ノ淵が埋まってしまったのか?、今後どうなるかの予測説明等、様々なアドバイス、説明を受ける。
宮ノ淵上端の川幅が広くなるエリアは増水時、上流の(川幅の狭い)強い流れで動かされた大きな石が、川幅が広がり流れが緩んだ所で石を動かすパワーが無くなり堆積して行く。(白沢合流点付近)
この堆積した石は新潟福島豪雨以上のパワーのある水が出ないと動く事はないという事。
10年、30年、もしかしたら100年後にはその様な水が出る事があるかもしれないが、それまでの間に現状で問題がないのか・・・
現場では本当に貴重なアドバイスを頂きました。
その後、河川内に降りて大まかな測量を行い、改めて大量の石が宮ノ淵上端に堆積している事がわかりました。
豪雨から数年。
淵として機能しなくなった宮ノ淵をどうにか復活させたいという想いはあるものの
復活させる方法をどうしたものかと暗中模索の日々。
そもそも素人考えでは重機で淵に堆積した土砂を取り除く位しか思い浮かばない。
重機で掘り下げれば復活するのか・・・
またすぐに埋まってしまうのでは・・・
出来れば、重機に頼らず、できるだけ人力やその場にあるものを利用してどうにかできないものか・・・
そんな話をしながら月日は流れ、ここ数年はフィッシュウォッチングも開催できずにおりました。
そんな折、銀山平や育てる会にアドバイス、ご尽力を頂いている徳島大の河口准教授からバーブ工法という技法の情報を頂いた。
バーブ工法のバーブとは釣り針のバーブ(かえし)の事で川の流れに対して、河岸から高さの低い(水面直下位の高さ)堤防を上流に向け数m突き出し(これがバーブ)、流れに運ばれてくる砂を溜め、現在の流れを時間を掛けて蛇行させ寄り洲を形成することを目的とした新しい河川工法の技術だそうです。
そしてこのバーブ工法の第一人者が㈱北海道技術コンサルタント川づくり計画室の岩瀬晴夫さんで河口さんと仕事上の繋がりもあり、宮ノ淵復活の為のアドバイスをいただける事となった。
続く・・・
写真は2020年11月18日の宮ノ淵 画像右側が上流
豪雨後の8月・・・池田副代表、北ノ又保護区監視の星和夫監視員、当時漁協銀山分会長だった星隼人(育てる会事務局)の3人で禁漁区内のリサーチに出かけた。
落ちた橋、抜けた林道、大きく変わった流れ、河畔林が丸ごと流された場所から大きな水のパワーには驚かされた。
しかし幸い、宮ノ淵は埋まらずに淵として残っていたことに安堵したことを覚えている。
豪雨のパワーで上流から押し流された大きな石は宮ノ淵上端の川幅が広くなるエリア(流れが緩くなる)に堆積した。
豪雨で運ばれ堆積した石は通常の増水のパワーでは動かず、小さなを動かしながらゆっくりと流れを変えていった。
浅く、広くなってしまった流れに河床を掘る力は無く淵は埋まっていった。
埋まった淵に遡上魚が付くことは無くなり、ここ数年、宮ノ淵で大岩魚の姿を見る事は無くなってしまった。
7月27日から30日にかけて、新潟県と福島県会津を中心に大雨となった。特に、28日から30日にかけては、前線が朝鮮半島から北陸地方を通って関東の東にかけて停滞し、前線に向かって暖かく非常に湿った空気が流れ込み、大気の状態が不安定となって、新潟県と福島県会津を中心に「平成16年7月新潟・福島豪雨」を上回る記録的な大雨となった。この期間の降水量は、福島県会津の多いところで700ミリ、新潟県の多いところで600ミリを超え、7月の月降水量平年値の2倍以上となった。(気象庁から抜粋)
最大で70mm/1時間の豪雨となりR352の枝折峠~県境の金泉橋までの区間は90箇所を越える土砂崩れ及び道路が損壊した。シルバーラインも一部冠水した区間と道路に損傷を受けた。
銀山平地区は枝折峠、シルバーライン、そして福島へ抜けるR352も全てストップし完全孤立状態となり取り残された住人や観光客は自衛隊機の輸送で里へ下りた。
7/27降り始めた雨は一気に川を増水させた。川の中で大きな石がぶつかる音が響き渡る
夏の減水が始まった湖に濁流が流れ込む。
一気に押し寄せた釣りブームと乱獲で激減した魚類資源の復活を目指し
1976年 北ノ又川の一部(蛇子沢橋上流)が3年間の期限付きで禁漁区として指定された。
その3年後の1979年、禁漁の期限は更に延長され、1981年に現在の永年禁漁区(石抱橋上流の標識から上流域全て)が誕生した。
当時、魚を守り、育てる為の種川として禁漁区が設定されたのは日本では初めての試みであった。
1978年に奥只見の魚を育てる会主催で第一回目のフィッシュウォッチングを開催して以降、これまでに30回以上のフィッシュウォッチングを開催してきた。
フィッシュウォッチングのメインポイントは「宮ノ淵」
秋の遡上シーズンには銀山湖から遡上してきた大岩魚の群れが宮ノ淵で多数観察されてきた。
宮ノ淵上端は白沢と北ノ又川の合流点となっていて遡上の分岐点となる。秋の産卵遡上に宮ノ淵に遡上魚が一時留まるのは産卵パートナーを見つける場とか遡上休息地や雨による増水待ちと考えられていて
産卵遡上魚にとって重要なポイントとされてきた。