2月20日に中澤代表が亡くなりました。
ここ数年は闘病されていましたが、残念ながら帰らぬ人となってしまいました。
中澤代表は大阪より仕事で奥只見へ赴任となって以来、この奥只見・銀山平、そして魚沼の地を愛し、第二の故郷として永住されました。
いつも僕らの事を気に掛けてくれ、広い視点から沢山のアドバイスを頂きました。
2015年より奥只見の魚を育てる会の代表を務めて頂きました。
誰とも気さくに話し、時には熱い議論となることもありました。そんな時は中澤代表の奥只見への熱い気持ちを感じました。
いつもキラキラと好奇心の塊のような人だった故に幅広い知識を持っていたのだと僕は思います。
中澤代表が時折言われていた『奥只見の魚を育てる会は絶対に潰してはダメだ。長く続ける事にも大きな意味がある』
この意志を、育てる会、そして奥只見の自然を次世代へ引き継がなければいけないと改めて思います。
釣り、音楽、バイク、自然観察&活動、カッコいい人でした。
ご冥福をお祈りいたします。
下の写真は2009年12月に内水面水産試験場の指導の元、初めて直播き方式による発眼卵放流をした時のものです。
新しい放流技術に心躍りました。